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「休刊しますよ」〜パソコン雑誌、最後のメッセージ〜 地球上に存在する種の99%は絶滅してきた。万物は滅びさる運命。秩序は無秩序に屈服する。しかし、人間には言葉という不死の魂がある。終わり良ければ全て良し。終わり悪ければ、全て悪い、、、というわけで、パソコン雑誌の辞世の句、「休刊のお知らせ」に焦点を当ててみた。行間に眠る、編集者の断末魔を聞け。 |
(工学社)「PiO」1986年10月号。投稿プログラムを掲載するというスタイルで活動していた「PiO」。お知らせによると、休刊後には「I/O」に統合。「ごめんなさい!」と謝っているニワトリのイラストが、早過ぎる終焉の無念さを物語っている。 |
(日本ソフトバンク)「Oh!HC 」1987年終刊号。
「休刊」ではなく「終刊」と呼ぶあたり、自ら退路を断った思い切りの良さ。「HC」シリーズは、かなりマイナーな印象があるが、ハンドヘルドコンピュータの草分けとして記憶されるだろう。このあたりから、「Oh!」系の休刊が相次ぐ。 |
(日本ソフトバンク)「Oh! PASOPIA」87年第11号。
横山やすしと岡田有希子で有名な東芝のパソピアシリーズ。だが非情にも、パソコン界はNEC、富士通、シャープの三国時代に入ろうとしていた。 雑誌は3年半で生涯を終える。 |
(大陸書房)「MSX応援団」1988年10月号。
最後の「いつまでも、いつまでも 光輝いていることを祈ってます」は熱い思いが込められた名文。泣ける。 |
(日本文芸社)「Hacker」1989年12月16日号。
ファミコンディスクのコピー方法など、アングラに徹したこの雑誌も、 編集後記では神妙だ。「Hacker精神」の再起は果たせたのだろうか。 |
(日刊工業新聞社)「プロンプト」1990年1月号。
突然の休刊によって、5年間の歴史に幕を閉じる。最後の「心からお詫びを申し上げたい」が悲しみを物語っている。 |
(アスキー)「MSXマガジン」1992年5月号。「休刊」ではなく「刊行形態変更」と言うあたり、潔くないというか、言葉のマジック。それにしても、1992年までMSX界を盛り上げ続けた業績は賞賛に値する。この不屈の精神が、「MSXマガジン永久保存版」として結実する。 |
(日本ソフトバンク)「THE COMPUTER」。1992年9月号。
コンピュータ業界の楽しさを伝えた画期的な雑誌として記憶されているが、 LAOXの「ザ・コンピュータ館」が、この雑誌と連動していた事実なんて、とっくに忘れていた。 |
(徳間書店)「テクノポリス」。1994年3月号。エロゲー路線と同人ソフト路線を確立した同誌も、108ページという超極薄状態で最後を迎える。ちなみに、最終号の付録は「ファーランドストーリー伝記 アーク王の遠征体験版(98用)」と「牙龍王 秘伝書」という5インチフロッピー。3.5インチ版はまだ認可されてなかったため、希望者は別途400円切手で申し込みする必要があった。 |
(小学館)「popcom(ポプコム)」。1994年3月号。美少女路線とエロゲー路線の間で揺れ動いた本誌も、「テクノポリス」と同じく3月号で休刊。当時、PC-9801の独占状態だったパソコン市場は、DOS/Vパソコンのブレークによって、大変革を迎えていた。そして、Windowsの登場で、DOS時代が終りを告げる。 |
(電波新聞社)「マイコンBASICマガジン」2003年5月号。古き良きプログラム入力雑誌。衰退の激しいパソコン雑誌業界で21年持ちこたえたのは奇跡に等しい。数多くのプログラマを育てたという実績は計り知れない。 |
(NEW!)
(ソフトバンククリエイティブ)「DOS/Vマガジン」2008年2月号。パソコン界の一大転換期となったのが、国民機からPC/AT互換機へのシフト。 Windowsで役目を終えつつも、 標準パソコンの代名詞として「ドスプイ」は残り続けた。 オーバークロックに神経と身銭をすり減らしたマニアは今いずこ。 |
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歴史の中に消えていったパソコン雑誌達よ、素敵な思い出をありがとう。 |